[1.17]そして12年目の夜が明ける…
1995年1月17日午前5時46分 冬場の神戸の夜明けにはまだ早い時間。
淡路島の(当時)淡路郡北淡町を震源としたマグニチュード7.3、最大震度7の地震が、阪神間を襲った。
死者6469名。(2004年時点)
今年も、神戸市役所南側の東遊園地では、6469本の竹灯篭に火が灯され被災者に対して追悼の意を表す催し「阪神淡路大震災1.17のつどい」が行われる。
私はこの年はまだ千葉に住んでおり、朝食を食べながら見ていたテレビには何が映っていたのか理解できないでいた。
そのまま会社へ出勤。まだ平然としていたような気がする。
事に気がついたのは、会社を出て客先へ向かう途中、浦和駅前でもらった新聞の号外。
自分が見たことがない光景があった。
客先でもその新聞を皆で取り囲んで読んでいた。
この頃は自分には関西に知り合いも親戚も居なかったので「大変だな」程度だったかと思う。
それから4年後。その兵庫県・加古川市へ転勤。
関西入りの手段が神戸駅行きの夜行高速バス。午前6時に神戸駅到着。まだ快速が動き出す前なので普通電車で加古川へ・・
すると見えてくるのは、長田の点々とした空き地・・・いや点々と立っている住宅の方が正しいか。
海岸沿いの垂水の運動公園らしきところにある被災者向け住宅地。
東加古川駅手前の北側にも被災者向け住宅地があった。
その後7年住む事になった加古川市内は幸いにも直接の被害は少なかったようでしたが、
その後、通勤に遊びに電車で神戸・三ノ宮へ出かける度にその光景を見ることになる。
そして、7年経って関西を離れる頃には、復興が進んだように見えた。垂水、東加古川にあった被災者住宅もなくなった。
が、それでも長田には空き地が目立ち、新開地の北・熊野町には半壊のまま住みつづけるマンションが残り、繁華街三ノ宮にはぽっかりと空き地が残り、西ノ宮にも市場のアーケードだけが残った。
この震災をきっかけに、防災活動、支援活動、それに関する法律などの整備が進んでいます。
日本は地震が多い国です。時折非常持ち出し袋の中身の確認をしてみては如何でしょうか。
あとは、余談ですが。
震災をきっかけに、防災をテーマにした番組が多く作られましたが、その中でも私が良く聞いていた番組を紹介しておきます。
MBSラジオ1179khz(毎日放送)で土曜日の夕方5時からやっている、
「ネットワーク1.17」という番組です。
防災の話、震災当時の話などを中心に行われています。
番組の後半には、「週間地震概況」として一週間の地震概況と分析を放送しています。
この番組や加古川で一緒に仕事した方からのお話で当時の様子を知ることができました。
この番組のオープニングの言葉が大事なことだと思うので、最後に書いておきます。
「1995年1月17日
阪神淡路大震災
多くの物が奪われました
でも絆も生まれました
地震で知ったこと
そして人のやさしさを
次の世代に伝えるために
私たちはこの番組を続けます。
ネットワーク1.17」
震災で亡くなられた方に哀悼の意を、そして明るい夜明けが訪れますように・・・
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